音楽療法コラム

2025/2/2

認知症になっても失われないもの:感情そして音楽②

私は第二子妊娠中に流山市に引っ越してきました。産休→育休を経て、職場復帰して1年間都内の訪問看護(略して訪看)で働いたのち、車通勤(片道15分)できる訪看に転職。サービス付き高齢者住宅(略してサ高住)に住まわれている方や、近隣の方、デイサービスのご利用者様への作業療法・音楽療法を行ってきました。

【認知症になっても失われないもの:感情そして音楽①】はこちら

山田さん(90代)との作業療法・音楽療法

パート①に書きましたが、山田さん(仮名)は訪問看護に拒否的で「今日は部屋に入れるか、入れないか…」という状態だったそうです。

※個人情報保護に準拠し、匿名性を保ち記載いたします

山田さんには内科的疾患と認知症がありました。

不安が高まりやすい特定の日時があり、そのタイミングに私が訪問することとなりました。

◾️訪問看護・リハビリで行うこと

訪問リハビリでは基本的に

  • バイタル(体温・血圧・酸素飽和度)測定

  • 身体状態チェック→必要な身体リハビリ

    関節や筋力に関する訓練など

  • 生活・環境に則したリハビリ・環境調整

    例えば歩行訓練やお風呂利用を想定した動作の練習、手すり設置の提案・調整など

を行います。ここまでは理学療法士と同じかと。

作業療法士はこれに加え、個々に合わせて

  • 作業活動

    その方に適した作業、例えば調理、創作・表現活動、遊び、運動、仕事や勉強、音楽など

を行います。必要に応じて、必要な作業を。

※作業療法協会「作業療法ってなんですか?」

◾️山田さんへの訪問開始

先輩看護師から「お部屋に入れない可能性もある」と言われていたにも関わらず、なぜか初回訪問から大きな拒否なく、訪問させていただくことができました。

私も記憶力がアレなので、あやふやな部分もあるのですが、山田さんへの訪問で最後まで拒否されたことはありませんでした。事前情報と全然印象が違ったなと思いました。

運とタイミングが良かったのか、作業療法士になってから認知症疾患医療センターで数年間勤務してきたので、関わり方(認知症介護に役立つ9つの法則)が身についていたからなのかもしれません。

◾️歌とハーモニカがめちゃくちゃ上手な山田さん

お部屋にカセットテープがたくさんあったので、「お好きなんですか?」と音楽の話へ。はじめに一緒に歌ったのは何だったかなぁ…『影を慕いて』だったかなぁ。

山田さん、低めのとっても素敵なお声で。お世辞でもなんでもなく、フランク永井ばりの超魅力的な低音ボイスでした。うっとり。

山田さんは

  • 童謡・唱歌

  • 昭和初期の歌謡曲

  • 軍歌 

を好んで歌われました。

ハーモニカは、「小さい頃にもらって、上手い人の演奏を見て自己流で練習した」と。楽譜は読まず、耳コピ。メロディ&伴奏を同時に演奏する、あのスタイル!わたし、できません!

認知症がかなり進行していても、あの複雑な演奏が、できるのです。手続き記憶として、染み付いているのです。よく聞いた、歌った歌も、よく覚えていらっしゃいました。

◾️戦時中の思い出

山田さんは軍歌が好きでした。

集団音楽療法では、軍歌の扱いに苦慮します。音楽療法士の方はきっと経験があると思います。私はこれまで、集団音楽療法で軍歌を歌うことほとんどはありませんでした。軍歌を耳にすることがつらい方もいるからです。

山田さんとは、個別リハビリだったので、山田さんが好きな曲・歌いたい曲を思う存分歌いました。お食事以外は部屋にいる山田さんが、たくさん歌い、たくさん話をしてくださいました。

山田さんがよく話してくださったのは

  • 戦時中のこと

  • 奥様との若い頃の思い出

でした。

山田さんにとって、戦時中の記憶は強烈だったのだと思います。学徒勤労動員で軍需工場で働き、生まれるのがあと1・2年早かったら、自分も戦争に行っていたかもしれない、と仰っていました。

軍歌を歌う山田さんの姿は、なんと表現したらいいのでしょうか…すごく、凛々しかったのです。キリッと。お話しするときは、すごく柔和でチャーミングな方なのに(そう!柔和な方だったのです!前評判とは全然違いました!)。奥様のことを話されるときは、いつも柔らかい表情でした。

◾️音楽と運動をリンクさせて

山田さんは、部屋から極力出たがらず、身体機能の低下リスクが高い方だったので、おしゃべりや歌を歌いながら歩行練習をしたり、景色を見ながら季節の歌を歌ったり、歌のリズムに合わせて運動をしたりしていました。

訪問リハビリでは、音楽が好きな方の場合は、その方が好きな音楽を活用した運動を良くやっていました。

◾️その後

山田さんはその後、内科的疾患が悪化。マツダ訪問時に、いつもとご様子が異なりバイタルの異常が認められ、看護師に報告。看護師の介入が増えました。訪問時に拒否されるようなことはありませんでした。

山田さんが一度だけ、集団音楽療法に参加されたことがありました。一番最後にちょこっとだけ。一番後ろの席で、一番大きな声で歌ってくださっていて。ちょうど録画していた日だったのですが(会社から、音楽療法の紹介動画を作成せよとの命があり)、山田さんの美声『故郷』が轟いていました。編集する時に「山田さんブラボー!」とニヤニヤしていました。思い出して泣けてきます。

人生の最終章の、大事な時間を共に過ごさせていただき、そして人生や思いを共有していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

豊かな人生・感情と共に、認知症を生きる

実際に、自分の親が認知症になると、想像を絶するつらさがあると思います。

それは実際の生活面でも、心情的にも。元気な頃の親がベースにあるので、そこからの変化を受け入れがたいですし、どうしたらいいのか戸惑います。

私自身も、父親がどんどん弱っていく姿、バリバリ仕事人間だった父の変化は、やはりつらかったです。父親自身は、病気(癌)の進行はもちろんそうですが、認知機能の低下が一番受け入れがたかった、という時期がありました。「弱っていく自分、弱っている自分は、極力見せたくない、見られたくない」という様子でした。

認知機能の低下は、様々な要因で起こります。父は、自身の機能低下をある程度自覚していたので

「覚えられない」「忘れてしまう」のですが、全部ではありません。

「お名前を言ってください」と言われて答えられなくても、「◯◯さん」と呼ばれると反応する(恩蔵先生のお母様がそうだったとのこと)、といったことがあります。

脳内のどこぞに記憶している事であっても、最後に『言語化して話す』ということが、非常にハードルが高いのです。

海馬が未発達の乳幼児、そして海馬が萎縮・損傷した高齢者、共に「嬉しかったこと」そして「嫌だったこと」は、海馬以外の部分、扁桃体などの情動に関わる脳部位に蓄積されます。そのため、嬉しかったなー嫌だったなーという感情は残り、長期的な行動や心理状態に影響を与えることがあります。

認知症に詳しい専門家が増え(実際たくさんいると思うのですが!)、ご本人・ご家族がその専門家と繋がり、もっと楽に幸せに過ごすことができますように。

私も頑張ります!

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著者

マツダ サチコ

日本音楽療法学会認定音楽療法士、作業療法士、社会福祉士。介護老人保健施設や認知症疾患医療センター、訪問事業所にて勤務。ダブルケアを経て、現在はWebマーケティング・制作会社にて勤務、ディレクションおよび制作を担当。個人事業としてもWeb制作、音楽療法を行なっている。

著者

マツダ サチコ

日本音楽療法学会認定音楽療法士、作業療法士、社会福祉士。介護老人保健施設や認知症疾患医療センター、訪問事業所にて勤務。ダブルケアを経て、現在はWebマーケティング・制作会社にて勤務、ディレクションおよび制作を担当。個人事業としてもWeb制作、音楽療法を行なっている。

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